魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

怖れれば、競争し、疲弊が生まれる。美しい景色よりも、効率の良い近道しか見えなくなる。

確かに、時代は変わってきているのかな、と本当に朧げながら、とてもとても朧げながら感じることがあります。


朧げながら、、、笑





うん、だってね

僕の時代を測る物差しは30年分に満たない訳ですから、まあ、ようわからんですよね正直。

変化、変化、って言い続けてきたこともあるけれど、今となっては変化ってなんだよ?とすら思い始めている。



今日も変わらず朝日は昇る。

これが、明日からはやってこないのだとすれば、それはもう大変な変化である。考えただけでも怖ろしい((((;゚Д゚)))))))



そんな朝日と共に今日を迎える僕は、昨日とはそんなに変わっていない。

根本的には、10年前ともそれほど変わっていないだろう。

ただ少し、家族を怖がらなくなり、世間を怖がらなくなり、多少の能力を世に還元する知恵をほんの少し身につけた程度である。

この10年に、社会は変わり、国は変わり、地球は何かしらの大きな変動を過ぎ去ったかもしれないが、それなりに頑張ってきた僕自身は根本的にはそう変わっていないと感じる。


10年前にも僕は、白米が大好きであったし、肉も食べ野菜も食べている。

スーパーに並ぶ食材は、多分10年前とそう変わらないスタメンで構成されているだろう。
もやしは変わらず主婦の味方だ。



変わらないものがたくさんある中で、変わるものばかりに目を奪われ心を奪われる時、私達はいったい何を見過ごしていくのだろうか?

くまは大変な変態だが、それはおおよそ変態性に気付いて以降も変わらず続いている。

多少、表現力は増加傾向だが。

心鈴はまんまるだ。
女の子らしい丸みを帯びた可愛らしさが、昨日もあったし、今朝もあった。

名前を、少なくとも二度呼ぶ頃には駆け寄ってくる習性も、変わらず続いている。



さぎりは、もっふもふ。
性格は年々丸くなる傾向があるが、根本的には、母性溢れる甘えん坊である。



どうも、るかと言います。
やっと名前が決まりましたが、その瞬間からあだ名はるーるーです。

名前が決まる前も決まった後も、やんちゃ坊主です。




僕は多分、今日のスーパーのスタメンや、猫たちの習性が明日にも大きく変わるなら、色々とついていけなくなるし、とても悲しい気持ちになると思う。

変化とは本当に、嬉しいものなのだろうか?

変化とは、何を指していっているのだろう。


ーーー


トマトが明日には緑色の葉っぱに包まれ、肝心の果肉部分は水分が乾き、ただの種子と成り果てる進化を明日にも遂げたなら、悲しい気持ちになる僕だけれど

2年前よりもほんのちょぴっと、美味しいトマトに育ってくれていたら、僕は嬉しいと思う。




人は言う。

「頑張らなきゃ、変わらなきゃ」




まるで、別人になりきれなければ、自分という存在には1ミリも価値が見出せないかのように、そのままの自分はダメなんですと言う。






自己否定が、変化の要因だ。





僕は「時代は変わった。新しい時代。だからあなたも早急に変わるか、置いてけぼりになるかのどちらかですよ」なんて周囲に焦りと不安、または嘘の安堵を与えることでしか表現できない文章が嫌いだ。

人が、人としての生態系が大きく変わらないのは、そもそも時代の移り変わりがゆっくりだからである。




時代は何も、急いてはいないのだ。
急かされてるように思える人がいるのは、積み重ねた我慢が限界にきてるだけの人だから。

僕らがゆっくり成長するように、時代もゆっくりと移り変わるのである。(僕らの時間尺度で言えば)

早急に変わっていくのはテクノロジー文明と経済市場くらいではないか。




それだって、みんなの力が合わさっての生命体なのだから、やはり1人1人は何も焦る必要がないのだと思う。



(札幌から帰ってきた奥さんと炒飯ランチ。麻婆うまーー!)



変わらなくていい。
変わりたいと流行り立てる影に隠した怖れと対話する時間を作るのだ。

人は放っておいても、成長していくものだ。だって放っておいても、心臓をはじめとする内なる活動は、ずっと続いているではないか。

そして、この体内活動は一部が急激に変われば、つまり病気の原因にしかならないのだよね。

この社会という体内の僕ら1人1人も、同じ理屈だと思う。フラクタル。急激な変化など全く必要でないし、病むだけである。


ーーー


僕は、競争せず、成長したい。

やっと最近、その違いがわかってきたのかもしれない。
怖くて怖くて、競争せずにはいられず、勝てねば自分を保っていられなかった時には、その違いを知る余裕も持てなかった。




そもそもそもそも急ぐとは、他者意識に偏っているだけなのだ変化変化と言い続けているのは、自分が競争の勝ち組であることを証明したいし、それを認められたいだけなのだ。

付き合う必要のないものだと思う。





自分という種を、育むだけでいい。

向日葵の種を撒いた畑に、キュウリが実ったのを見たことがあるだろうか。

適切な養分と豊かな大地、日々の日光と時間だけが、種を育み、花を咲かせるのである。




そんな気付きもまた、急いで頑張ってみた時間が、物差しとして生きている。

少なくとも僕の幸せを測った時には、必要のない、物差しなんだ。







書奏家 志起
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