魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

個性を尊重することと、その人の今を尊重するということは、近いようで違うお話なんだと感じた件。

朝だ。金曜日の朝は、土日のお休みに続くのだと思うと嬉しくなるリズムでお送りしております。

僕は、様々な体験を楽しみたい人間だ。
未体験そのものに好奇心を持っているし、新しい刺激の一切ない環境は、ちょっと厳しいだろうと思う。昔は"絶対無理だ"と決めつけていたので、判断基準も緩やかになってきた。



少し前の僕には、理解しようとしていなかった部分がある。それはどうしてそんなにも自分を抑え、縮こまり生きるのか?ということだ。

僕は人生の大半を好き勝手に生きてきた自覚があって、好き勝手が時々に喜ばれ、そのなかの一瞬には己の好き勝手な表現に感動してくれるなんてこともあってしまったものだから、僕は随分と、勘違いしながら生きてきた節があるなと、最近よく思う。

どういう勘違いか、と言うと人は好き勝手に生きれば、誰かの感動を刺激し得るものだし、みんなそうすべきだということだ。

過激派の自己表現推進一派だったのだ。

そんな勘違いは最近、よくよく「勘違いなのだな」と、感ずるようになってきた。




(北海道土産っぽい名前の九州のお菓子"雪うさぎ"ちゃん、食えるかぁぁぁ萌)



いや、食べましたけどね?
15分くらい鑑賞した後に。



昨日、お弁当食べて全然お腹空いてないのに水曜日パンデイに好奇心で手を出し、お腹いっぱいだからお裾分けしたお礼にもらいました。

こんな可愛いのがいるんだね!知らなかったぁ。






僕の勘違いは結論から言って人の個性は尊重しても、人の今を尊重する気持ちがなかったことがそもそもの原因なのではないかと、ボンヤリ思っている。

僕は単に、いらないお節介者であり、偽善者であり、独善的であり、ひたすら余裕がなかったのだと思う。



余裕って大事だよね



僕は今、多くがストレス環境から抜け出してきた人達と学生をし合っている毎日だ。

昨日はじめて他己紹介という、他者の紹介をするというワークをしたのだけど、その為の相手を評価する印象基準の中で(せかせかーゆったり)の項目があって。

僕はゆったり側の方に振って評価をしたが本人はせかせかだと思っていて、ここがとても不思議だと話し合っていた。




最終的には「多分、僕が知っているのは、今のストレス環境にさらされていないあなただからで、どちらかといえば今の方がよりまんまの自分らしいのではないか」というような話に合意し落ち着いたのだけど、それは単に自分の体験でもあって今でもあって、で1ヶ月足らずの時間しか知らないけれど、どう感じてもせかせかな印象には当たらないなと思える方で。



何が言いたいのかというと、多分僕らは環境に自分を形どられてしまっている部分が多くあって、役割を終えた今でも役割が自分そのものと思ってしまっている部分があるのだろうと思う。



結論から言って僕は

  • 役割は役割であり
  • 役割は自分ではないが
  • 役割は自分をよく知れる教材である

と思っている。



そして大事だと思うことは

  • どんな役割に徹しようとも、それに自分という存在は侵されはしない

ということだ。




僕は、これまでの人生で言えば社会の中にも"自分という役割で生きていたかった"し、それを遂行することによる摩擦で疲弊していたのだけれど、最近は『何かに属する時には、属した生命体(会社等)が生きる最低限の役割を担う』ことはとても大事なこと思うようになってきた。

その役割を遂行する中に、自分というエッセンスが含まれていく。

人生が常に未知というエッセンスに彩られていくように、会社などにとっては役割を果たした上での個々人のエッセンスが深みと広がりを与えていくのだとうと考えるようになった。



少し前ならば役割を生きる=自分は死ぬと思っていたからとても頑張って"自分"を生きていたのだけれど、余裕をもって考えてみると人というものは、どんな役割の中にも自分を殺すことなど出来やしないのだと思うし、自分が死んでいくということも思い込みなのだと思う。

もちろん、働き過ぎや、過度のストレスは、自分を殺していく。けれどもある意味ではそれすらも、自分を深めるエッセンスなのだろうとも思うが。


(ただ、萌えました)



そして、苦渋の選択でしたがいただきました、、、






余談はさて置き、僕は属することがずっとずっと嫌いでした。嫌悪していた。そこでは自分が死んでいくと思っていた。

もしかすると僕は、その思い込みから、自分を殺してしまっていたのかもしれない。一種の自己催眠か。





どんな会社に属し、どんな仕事をしてきたか、はたまた他の全てのことは、本当に自分を侵害するのか、というと、今の僕にはそんなことはなかったんだなと思える部分が結構ある。



冒頭に書いたように僕は誰かの今を尊重することをしなかったのだろうけれども、今という環境で社会の規律や会社の役割に縛られていない方を見てきて、そしてそんな方が語る自己像と今のその方とのズレを感じること

「ああそうか。みんな役割に徹し過ぎているだけなんだな。緩んだ環境では、放っておいてもみんな面白い。」

ということを感じていて、もしかしたらこれが役割を纏った同士での出会いならば、面白味のないご縁で終わってしまう方もたくさんいると思う。

けれども、役割を少しだけ超えた先には、みんな面白い個性をもった、ただの人なんだなということが、今の一番に学べていることかもしれない。



押し付けず
強要せず
迫らず

余裕をもって関わってみると、そんな風に見えてくるものがあるのだなと思う日々である。



(こんなにもあれこれ考えている日々なのに、吾輩の名はまだにゃい。。。)






書奏家 志起
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