魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

今日も朝を迎えた。そして今日も誰かと関わり生きていくこと。

さて、とても眠い朝だった。

しかしいい朝だった。

現在、我が家には、4匹目になりかけている猫がいる。


(特別な事情がない限りは我が家の子になるである。)


そして日に日に増して行く心鈴のかわゆさ、まじ神。


(左の子、右のさぎりはお気に入りの寝場所取られて、それでもちょっとだけでも乗ってやるの図、これまた神級のかわゆさ)→アホ親



昨日はとても面白い時間であった。
が、正直に言えば、楽しい時間ではまったくなかった。(個人の心模様)
が、本当に面白い時間であった。楽しみがない反面、学びが多かった。
貴重な視点と意見を、いただけたし感じもしたので、本当に良い時間だったと思う。
誤解を与えたくないのだけれど、会に参加した方はみな、楽しそうだったと思う。

僕にとっては現在、外野のどこぞの言葉よりも、身内であったり近しい関係性の人からいただく言葉の方が遥かに重みがあるので、昨日は個人的に嬉しい言葉もいただけて、そこからまた発展するものは生まれたことを実感しているので、本当に良かった。

疲れた1日であったし、新人猫氏が気掛かりな日でもあったが、昨日という日が過ごせて本当に良かったと思う。

坂爪さんとのトークライブ的な告知でありながら、僕自身がトークに全然参加しなかったのは申し訳なかったが、あれはあれでいいのだと思う。これまた正直に言えば、今の僕に話すことで伝えたい欲求はほとんどないのだと気付く。

*こうして「ブログを書く」という作業は、多分別物だ。どれだけ相手を思っても、ここは個の空間だからだ。



もう少し言えば楽しい会話、雑談はしたいが、何かを解決したり、問題を議論することには今、ほぼ興味がないのだ。

その問題意識からそもそも抜けてしまうことが楽な在り方でありフラットであり、その意識がなければ日々は常にDo it now like feel.だと思う。

今感じている"それ"を生きればいいだけだ

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何も知る必要はない。知らなくても己に従える。
人に問う必要はない。問いかけは献立の希望くらいで充分である。
合否はない。この世界の唯一の受験はこの地球に生まれるか否かだ。

そんなスタンスでいて初めて、知識は人生を手助けするものであり、己の人生と他者の人生は互いに補完し合うものであり、自己開示とはまさに究極の調和の姿なのだから、僕はもっと怖れることなく己をさらけ出し生きることを、社会全体が求めていくといいなと思う。

と、言うことでどんな場面にも「怖れにしかならない情報」はいらないし、本当の真実とは得てして「平穏であり、選択肢のあるもの」なのではないかと感じる。



そしておそらく僕の自己開示とは芸術的表現に最も現れるのだから、ただそれをすればのだなと強く感じた。

だから、そもそもトークセッションという場には、僕はあまり用がないのだろうと思う。そう思えたこともまた、僕にとっては1つの財産と言っていい。

これが、マヤの話であるとか、その他の"何かを語る"ことはまた別の話であるし。


ーーー


唐突だが、著名な世界を股にかける点描画家の秋山峰男さんが言われる全てにイエスと答えるは、他者にのみイエスでは成り立たない、と僕は思う。

まずは自分自身へのイエスがあって初めて成り立つことを事例にあげると

  1. 私は絵を描く人間である⬅︎自分へのイエス
  2. それ以外にやりたいことはない⬅︎自分へのイエス
  3. から、それ以外しないと宣言した私にいただくご縁は全てにイエス⬅︎自分以外の全てへイエス

というスタンスであって、誰しもまずは私〜である-I am.という究極の魔法を自分自身に見出すことが大切だ。





これまた唐突だが僕は

橋渡すアーティスト

でありたい。




組織に属する人間も
組織に属さず生きる人間も

多分僕らは、それ関係なく好きだし、関わりたいと思っている。多くの人生、前者を線引きし遠ざけていたけれど、福岡にきて、そこに関わって4年。すげーやなことあって組織を抜けた今でも考えるのは組織内と外で生きる人間が、もっと交流していくといいなと。

僕は多分、強くジャッジする性格も持ち合わせているくせに本質的には線引きが苦手で嫌いだと思う。

ジャッジしながら、その自分に苦しむんだ。

なんていうかこれまでも僕の表現は組織の垣根関係なくあらゆる人に届いてくれたし、そこをごちゃ混ぜにしていきたいから。




結構、個人で発信して売れてった人も、なんだかんだと自分で組織を作っている人をみかけるし、みんななんやかんやと誰かと一緒にいたくて、一緒になんかして、一緒に楽しみたいんだと思うんだ。





本当に人が嫌いな人間というか関わるつもりのない人間には、そもそも人が関わらざるを得ない人生を持ち合わせて生まれはしない。

僕らの周りには(少なくともこのブログを読んでくださる方)たくさんの人がいる。

それがそもそも人と関わる人生を選んできた証なのだろう。



昨日1日を通して、これだけ感じることができたのだから、本当に良きご縁の日だった♫




書奏家 志起
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