魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

『目的ある人生』は果たして『幸せな人生』と結びつくのか。

今日は、午前のみで授業が終わり、念願のスケートリンクへ8人ほどで行ってきた!

僕は北海道で生まれ育った。
毎年冬にはグラウンドがスケートリンクとなり、放課後にはいつも滑っていた人種だぜやっほい!

と意気揚々と滑り出した瞬間の「!?!?」的な違和感。
靴か。シューズの刃の形状が、違うのか。

考えたこともなかったが、おそらく僕はスピードスケート用の、刃先が鋭利になっていて氷をしっかり掴めるタイプの(表現あってるかわからないが)靴でしか滑ったことがないので、刃先が平らになっていて、昔の感覚のままに滑り出そうとすると、氷を掴めずこけてしまう。感覚の違いに、大いに戸惑った。

リンクは18度に設定されているらしいが体感はもう少し寒い?気がするけど、滑ればなんのその。手袋なし半袖に薄っぺらなパーカー一枚で行ったけれど、滑って10分後には脱いでも平気なくらい暑かった。(実際には脱がなかった)

本当に脱いで良かったんですけど、温度は大丈夫でも、防具機能が損なわれるので。

証明写真がこちら。

袖捲りしてたら、忘れてて滑り受け身したら擦れてました。

危ない危ない。
大きな怪我以外は気にせず受け身を取ってしまうから、脱いでいたら肌がズタズタになっているとこだった。

最初は速く滑ることを楽しもうと思ったのだけれど、来た時からいらっしゃる、おそらくはフィギュアスケート経験のある女性の方が優雅に滑っているのを参考にしていると、僕もなんだかクルクルっと回ってみたくなってしまって。

途中から路線変更、まわるための練習に黙々と突入。
他の皆さんも各々に楽しく滑り続ける真面目な人種である。
(みんな、最終的に驚くほど上達した)



結果的に、結構スムーズにクルッと氷の上をまわるコツを掴んだのと、どうも右の靴と相性が悪く、擦れがひどくなって来たので、あまり重傷になる前に引き上げる。

僕は1ヶ月に2回は来たいと、心から思った。
本当に楽しかった。


ーーー


子供時代に経験したことというのは、何か特別なことが起こってなくても不思議な特別感がセットな気がする。多分僕は、滑っている間、一気に子供に戻っていたと思う。普通でも「大学生?」って言われるのにだ。

最後に滑ったのは小学、または中学ちょっとくらいだろうから、それくらいまで退行してたのではないかと推察する。(自分のことはよくわからない)



スケートの話が関係あるのかないのかはよくわからないがここ最近の僕は「あの頃は、〜な意識で楽しんでたな」と、昔の感覚を思い出すことがよくある。

例えば僕は、ここ数年の中で出会った人には”同じことを黙々と続ける人間”というよりも”様々なことにチャレンジしていく人種”と印象付いているのではないかと思う。実際に僕自身も、意識的にそうしてきたし、言われても来た。

だが少し前の僕は、少し違ったように思う。




12歳の頃、いや年齢よりも正確には2001年3月7日に発売されたCHEMISTRYのデビュー曲『PIECES OF A DREAM』のCMを、その1週間前に観た瞬間から、僕の時間の大半がCHEMISTRYに費やされる日々が始まった。

どれくらい費やしたかと言うと、まずそのCMを観た瞬間から、たまたま録画していたその15秒ほどのCMを何度も何度も繰り返し再生した。何故だろう、はじめて聴いた瞬間に、涙が溢れたんだよね。

そして待ちに待ちに待ちに待った発売日。もちろんCDを買った。
その日から僕は”確実に覚えているだけで、1日最低4時間以上1曲リピート再生を最低1ヶ月以上繰り返していた。(おそらく、2曲目の発売日まで続いてたはず。もちろん、2曲目も同じ現象)

延々聴いていた。歌っていた。同じ曲を。飽きなかった。飽きなんて来る前に新曲がきてアルバムがきて、2枚目のアルバムが出るくらいまでは、落ち着くことがなかったんじゃないかな。途中、EXILEがデビューして、エネルギーは分散したけれど(アツシと清木場さんの時代!!)、それでもCHEMISTRY熱は冷めやらなかった。僕はCHEMISTRYから始まって、J−R&Bが大好きでした。

こんなにも1曲に熱中できる僕は、近年の僕と、果たして重なるだろうか。





中学の終わりから、格闘技にもハマっていた。
ボクシングから、キック、柔術、柔道、そしてウエイトトレーニング。

僕の10代は紛れもなく音楽とスポーツに染まっていた。

身体を鍛えることは、今では絶対にできないレベルでメニューを作っていた。
朝に5〜10キロのランニング。当時は仕事が鉄筋屋さんだったので、そのまま仕事へ。帰ってからは中学のマラソンコースを走ったり、家の前の傾斜を50メートルダッシュを何本もし、家にあるトレーニング器具(ダンベル25−30キロ)で鍛えたり、一時期はフィットネスジム通いも入れて、週に4−5日キッチリメニューを組んで通っていた。

トレーニングの為、海外のフィットネス雑誌を読んだり、図書館に通い、運動生理学や筋トレの勉強、栄養学まで勉強してもいた。ただひたすら、黙々と。

過去の僕を思うと、これらの作業を本当に楽しく行っていたのだ。
近年の僕と、果たして重なるだろうか。




【目的】

これだけのことをするからには「何か目的があったんだろう」と思われるかもしれないが、実はこの頃の僕には何一つ目的がなかったのだ。今思えば、実はそれが一番すごいことなんじゃないかとすら思えて来る。

20代の動き方には、いつもなんらかしらの目的があったように思う。その割に成してきたこと、費やせたエネルギーは、10代の頃のそれには及ばない。

僕は、年齢を重ねるほど老いる、という価値観を持っておらず、またそれを全く信じていないので、過去の自分に及んでいないと思える今の自分には”何か決定的な思い違い”があったのだろうと考えている。

10代の頃は、本当に無目的だった。
だが実は、人はもしかすると”無目的であればある程、純粋なエネルギーの中で動ける”のかもしれない。

20代の頃は、あらゆる目的の達成に躍起になっていた。

あらゆる目的とはつまり

  1. 自分の罪悪感から逃れることであり
  2. 自分の怒りや悲しみから逃げ出すことであり
  3. あらゆるしがらみや規制をぶち壊すことであり
  4. 自由という名の孤独を歩むことであった

のだろうと思う。

その2つの時代の決定的な違いは、一言で言うなら【集中力】と言えるものだったのではないか。
近年の僕は、あまりに多くのことにエネルギーが割かれすぎていた。

こうして書いてみて、一つ、新しい真実らしきものに気がついた。
人はもしかすると、完全な無目的という状態はなく、自分自身を遮る余計なものがなければないほど自分自身の純粋な幸せを達成するという目的に焦点が合うのではないだろうか。

10代の僕は、今の僕よりも圧倒的に純粋に、その頃の自分自身の幸せをまっすぐに実現していたのだと思う。

無目的である、ということは実は最も根源的な幸せに近付いていける状態なのかもしれない。



ーーー


お金の為に。
支払いのために。
欲しいものがあるから。
やりたいことがあるから。
夢のために
家族の為に。
社会のために。



能動的な目的から、受動的な目的まで、あらゆる「すべき理由を掲げて何かをし続けている」のだとしたら。幸せは、それらの全てが達成するまでは出会えないものとなる。

幸福感とは、今、幸せであると思えることだ。

何かを達したご褒美でしかもらえないならば、いつまでも続かないし、一体いつ幸せになれると言うのか。

もしかしたらそもそも

『目的を達成すること』

『幸せになること』

は別の話なのかもしれない。

それならば社会は、多くの嘘の中で、幸せを餌にしているようにも思える。
何かを成せば幸せと、誰もが思い続け、生きているからだ。



僕は今を幸せだと感じられる時間が、どんどん増えてきた。
少し前の僕よりも「大したことはしなくなった」かもしれない。けれども「小さなことを丁寧にする」ことはできるようになってきた。

毎日、必要なものを買い、ご飯を作り、片付け、茶碗を洗い、猫と遊び、楽器に触れ、筆を遊び、それらを奥さんとの結婚生活の中で続けている。

今はある意味、目的がない。
ご縁に委ね、その日の感覚に委ね、今を紡いでいる。

目的がないから、視野が広く持てるのだと思う。
目的に縛られれば、それ以外のものには意識が向かないからだ。

何かを達成することは素敵なことだ。
けれども、何を達成しなくても、毎日は素敵になるのだ。

人は、生まれ、在る。
そもそもが、素晴らしい奇跡の上に成り立つこの命が求めることは、成すことなのか。生きることなのか。

社会と人との狭間で、まだまだ思い巡らせていきたいと思う。




スケートから、こんな所にまで話が行き着いたのでこの辺で!






似たような感性を持っているだろう気もする

9/18~9/19
福岡にいばや通信の坂爪圭吾さんがいらっしゃいます。
18日は僕が対談させていただく形式で坂爪さんのお話を聴くことができます!

急な開催決定の為であることと、開催場所がアットホームな為、とても距離感の近い中でのイベントになると思います。タイミングがある方は是非、いらしてください♫




書奏家 志起
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