魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

静かな”今”に想うこと。

静かな毎日だ。以前の感覚から比べれば圧倒的に。
それは昔には常に騒がしくなる対象を自ら作り出していた(不安や罪悪感、それを回避するための言動等)ということでもあるし、今はそういったのが、比べればずっと少なくなったんだろうことでもあると思う。

平和だ。
日本はそれほど変わってない。
変わったのは僕の心なんだろう。

平和に気付けるようになった。
平和を味わえるようになった。

果たして僕は、そんな最近の僕に、どんな感覚を抱いているのだろう。


(最近、肩乗りを喜んでくれるようになった心鈴)


家でごーろごろ。

それが最近の僕の、多くの時間の過ごし方だ。

羨ましい?YOUもやっちゃいなYOー!!



先月半ば過ぎに仕事を辞めてから、久しぶりの無職生活。
来月には学生生活だから、こんな平穏な毎日も終わりを迎えてしまう訳だけど、こんなに日々をゆっくり静かに平和に過ごしたことも、そうない経験だった。

僕は昔から、向上することに価値があると思っていた。
自分で何かを発展させていくことに、ストイックに生きることに価値があると思っていた。

それも間違いではないだろう。

ただそれは

どこまでも終わりのない苦悩のループの元凶でもあった。




学ぶことは好きなんだろう。向上、発展も。
ただ残念なことに、僕はそれらに意識を向けすぎるあまり、楽しみであるとか幸せであるとかの、相対的な感情を見失い「〜であれば、〜ならば」の条件付きの喜び、幸せだけを持つようになっていた。

今でもそんなとこはあると思う。
多分にあると思う。

それだけに、今が、本当に静かで平和だ。
僕はこれまで、今のような時間の流れ方を「害悪」としか捉えてなかったろうから。



ーーー


肩に猫をのっけて

ご〜ろごろ言うてる心鈴と顔寄せ合って。

家にいると猫と戯れることが多くて、いつのまにかそんな新しい触れ合いも生まれて。
(ひそかに”黒い変態”もいるけど)




いや、ほんとに思い返しても、特にここ二週間はホントにそんなことくらいしか浮かばないくらい、静かだった。

ここ一週間は、書や楽器を楽しみだしたけど、それでも一日時間がある中の一部の時だけだ。

多くは、適当に、ゆるく過ごしている。




社会人生活の中で一個気づいたことは、僕は

【オンオフのスイッチが明確だ】

ということ。

休みって思っちゃうと、もー休みモードなんだよね〜。

それと

いつも頭の中では「時間さえあれば〜するのに」なんて考えてはみても、いざ時間だらけの日々の中でも、大したことをする訳ではないなぁ、ということ。(物事にはタイミングってものもあるし)





静かっていいよね。
それに委ねられるのは勇気がいること(不安に駆られて頑張らない)ってのも知った。

で、静かな時間に委ねると、心の声がよく聞こえる。
聞こえたものに委ねて、道筋も大まかに決まった。

ホント、この先決まらなかったらどうしてたんだろうってくらい、就色々未定やったし、なんも頑張ってない。

流れが大きく変わる選択だし、今までの自分からしたら、抵抗あったり向き合いずらいとこだと思うんだけど、何気にそういう選択ほど、事前に委ねるキッカケや下地が出来てて「どうなるんやろ〜?」って言いながら、すんなり決まっていく。

これは僕の人生のパターンの一つ。




だから、僕が頑張って何かをしようとしている時ほど、それはやるべきではないことってのもそろそろ、気付き始め受け入れ初めている。笑

セッションを遠隔限定にしたり、ね。笑

対面でやることの方が、面白さを提供できるかもだけど、その面白さより、作品作りのこだわりを優先することの方が、頑張らないし楽しい。だから、そこは力を抜いた結果=遠隔のみ、だったりする。

これも僕の人生の負のパターンから学んだことの一つ。笑

もちろん、エネルギー的には逆の人もいるから、みんなが力を抜けばいいってわけじゃない。





ただ言えることは

  1. 静けさに身を委ねるには勇気がいる(不安と向き合う)
  2. 静けさの中では自分の声がよく聞こえる(思考では不安が渦巻くけど)
  3. 静けさの中の声に従うと道は自然と開ける(頭の中では出てこなかった道筋かも)
  4. うるさいのは”うごいている渦中”だけで充分だ(頑張って動くのは嘘だよ)

ということだ。





今も映画に行くのか行かないのか。
居酒屋テイストな客が1組いる静かなサイゼリヤで、奥さんとブログ書き中なう。

サイゼリヤ、大好き。





書奏家 志起
セッションご依頼はこちら♫