魂をアートする

北海道生まれ福岡在住の志起です!書のこと、音のこと、魂のこと、宇宙のこと。

勘違い、だったのかもしれない。

自分は物覚えが良い方だと思っていた。
けれども、ものすごく基本的なことを忘れていたように思う。

それは
人には得手、不得手がある
ということだ。


ーーー


過去には建築業、接客業、キッチン業務、ホール業務、カラオケ業務、コールセンター、携帯業界、ネット業界、その他日雇い等、色々やってきた、、、

そしてスピリチュアルワークや音楽、書活動。

そして、今は不動産業。



自分は、物覚えが良いものと思っていた。
けれどもそれは、もしかしたら大きく勘違いが混ざっているかもしれないと最近思う。

簡単な話だ。

私はこれまで

自分にとって容易に取得出来るものばかりを経験し続けていた

だけなのかもしれないということ。

決して、物覚えが良いのではなく、そう努力をせずともスゥッと身体に染み渡るような、そんなものばかりで人生を彩っていたのかもしれない。

ーーー

私は、直感的な人間だと思う。
エネルギー、というものへのアンテナが、多分普通よりは敏感に出来ている方だと思う。

目に見えるものより、目に見えないもの、科学的に言えばエネルギーの振動数が高いものへの感応力が優れているとでも言えば良いのだろうか?

そんな私が、不動産業に就いて、そんな私を、より強く感じる日々です。

物質とは、エネルギーの振動数が限りなく少ない状態だ。
不動産とはその名の通り、不動のエネルギーだ。そんな世界の中、行き交う人々の合間で信頼を築いていく仕事だ。
我ながら、大変だなぁと思う。

日々、こんなはずじゃなかった(゚∀゚)思てたんとちゃう(゚∀゚)と思うていましたが、最近は勘違いだったんだなと考えを改めてきました。

物覚えがいい自分ではなく、苦なく覚えられる得手なものを選択し続けていただけだったんだと。
ここ数年は少ない実は苦手だと思っていたものへのチャレンジが続く。

今回のチャレンジがきっと、一番大変で、一番成長するものとなるだろう。

筆も笛も眠らせてる毎日ですが、それもいつかは再び手にする日が来るだろうか。



志起

正解と不正解の狭間で生きる私達。

今年2本目のブログ、という筆不精振り。

今、私は不動産業界で生きております。超、社会人。初のカレンダー通り勤務ね。ふふ。



昨日は久し振りに、宇宙工学博士でありダークマターの研究者であるー十永光博士にお会いしてきた訳で、今って時期は僕的に色々あるものだから、ちょっとブログを書こうと思い立った訳です。

**

社会人。
社会人って、なんだろな。

このブログや、僕自身を知っている方は、もしかしたら僕がキチッと社会人やっちゃってること。

  • 想像がつかない
  • 違和感しかない

なんて感じるやもしれませんな。



ちなみに会社では、変な形で目立つけど、基本影が薄めな存在感です!

ふふ。
自意識過剰かもわからないけど、影が薄めの成分で会社に組み込まれてる自分が自分で違和感なくもない。

それなりに、影響力はある人間だと思って生きてきたから。
あっ、自分を出さず、学ぶことに徹していることは要因の大きなとこではあるんだろうけど。


そんな生活も早、3ヶ月弱が過ぎ去ろうとしている。入社は5月だったからね。早いもんだ。


社会と社会人


ルール。
があると

正解と不正解。
が生まれて

明確に正解を出す。
ことが最低条件となり

時には不正解を上手に扱う。
ことで賢い生き方となる

そんな世の中は〜ポイズン〜♪



、、、


(やべっ)


ルールって、面白いよね。

最近、実写映画化の話で話題にもなったキングダムから引用すると

法とは、願いである。国が民にこうあって欲しいと願う姿が、法である。


今は明確に、正解不正解を学ばなければやっていけない仕事に就いている僕は、人から理解されることはそうないだろうレベルでルールからの逸脱を何とも思わない性質なもんだから、本当に大変な部分もある。


そんな僕が、何のためにか今の会社で、学びたい姿があって目指したい姿が明確にあるから、今までしたことのない型にハマる=基本に忠実な生き方をしている。

ぼんやりとはね、その意図の先を見てはいるけどね。きっと3-5年くらい先に見えてくる。

自分としてはかなーり良い会社に入れていただけたなって思えているし、尽くしたいなって思えてる環境だから、多分なんとか頑張れる。



けどね、昨日ね、博士に会ってねマヤとかエネルギーの話とか色々色々、久しぶりに聞くとね

そうした話の、なんと染み渡ることの容易いこと。理解の容易なこと。

比較して、不動産系の知識や実務の知識やら、他者と比較すると取得の早い方らしいけど自分史上、覚えが悪いなもんで、落ち込む落ち込む使えない人間だと何度思うたことか。

これがもし1-2年経ってもそう感じるなら、それは本当に、性質の問題なんだろう。


ーーー


人は悩む。
悩むのは、違和感があるからだ。

悩む時はきっといつも自分がズレている時だ。

私達は、あらゆるルールに囲まれ生きている。けれども、どんなルールだって、どこかの一部の範囲内での、限定的で便宜的なものに過ぎないのだ。

どんなルールも、正解と不正解を分けるが、無二の正しさはどんなルールにもありはしない。

ルールを知っている方が、多方面で生きやすいとというだけで、自分自身が、己の人生を謳歌できるか否かには関係がない。

今は、エネルギッシュな時間の中に、全くエネルギーが入らない空白時間が生まれる。
きっとそこには無理があるからだ。

けれども、それも含めて、人生は紡がれ繋がっていく。

その時が来たらきっと分かる時が来る。


人生は、そんな未知の為の今の繰り返しなんだ。

目指す姿

僕には幾人か、心に滞在する師がいる。

博士も、もちろんその1人だ。
点描画の秋山さん、ジャンベの茂呂さん、真笛の山口さん。

行いや、表現の技術的な部分のことを指してはいない。

在り方?
心?
立ち居振る舞い?

もっと包括的に言えば存在の中に師を感じるのだ。

私にとって灯台の光のような、先を示す何かが、その存在の中に包括されている

言葉にすると、そんな感じ。

誰かになりたい訳じゃない。
けれど、自分はきっと、この名を挙げた皆様のどこかしらに通づるものが未来に待っているんだろうと思う。

社会の中で、社会人として生きながら、揺らがないのはそんな自分ルール。

**

表現活動は休みながらも(リアルに余力がない)ブログはちょー不定期で続けていこっかな。←閉鎖しようと思っていた

今は大事な時期だなと思う反面、押し殺している部分は勿体ないものがあるなとも思っているけれど

まあまだ30歳。

多分僕の良さは歳を重ねるごとににじみ出てくるものと信じて行くしかないね!




志起
30歳、最初のブログ

月子は名前の通り「夜を照らす」のだと思う。

僕は月子のパートナーです。


僕は、福岡に来た当初、自分の当時の意向には全く添えない心境に陥り、予定していなかった予定が組み込まれ続け、結婚し、今に至ります。

福岡に来たのはもう、4年前になるでしょうか。



当時の僕は、魂の物語を書き始めてから1年ほどで、僕は今でもそのワークの中には、自分自身のエネルギーが自然に圧倒的に表現されていくことを感じていますが、当時はそんなワークが出来る自分を「特別な人間である」と思っていた節もあり、なんとか、そうしたスピリチュアルなワークのみで生きていきたい!と模索していました。

4年前に福岡に来た頃にも「福岡には2週間くらいいるつもりで、その後はまたどこかに行く〜」と武者修行者の感覚でいたことを覚えています。

しかし僕は、すぐにその思惑を遂行することができなくなりました。
何故なら、精神的にとても不安定になり、福岡から出るどころか、外出もまともな状態ですることが困難なくらい様々な感情の波に飲み込まれていたので。以来、僕は月子と生活を共にしている4年間の中で、度々(今でも)その波に飲まれかけては乗り越え今に至っている、という状況が続いています。

そして今現在多くの活動を、月子自身が僕のいない場で展開し、そこに関わる人々を遠くから傍観者として観続け、一つ、確信めいたものを胸に覚えることとなります。


それは

『月子は夜(負の感情)を照らすもの』

なのだろう、ということです。





福岡に来た当初の僕は、今思い返してもそれはそれは酷いものでした。
今でも、酷い自分と出会うのですから、僕は心底どうしようもない人間であると本当に思います。笑
ですが当時はそんな自分を酷いと思うどころか、素晴らしい人間であると思い続けていたので、鬱憤した感情が表に出ては「これは〜のせいだ。〜が悪いんだ。俺は悪くない。もうこんな状況から離れてやる」と、簡潔に言えばそんなやりとりを、何度繰り返したことでしょうか。笑

今もやっているので、学習能力は、もうヤバす٩( ᐛ )وです。




ですが、心身が落ち着いている今に、そんな4年間を冷静に思い返して書かせていただけることがあるとするなら、そんな僕を諦めず、寄り添い続け、一つ一つを乗り越えさせて行ってくれている月子の素晴らしさと類稀なる器の大きさでしょう。多分、僕は本当に厄介な人間です。相当タチが悪い。笑
でも、そんな僕が、少しづつでもまともな人間に向かえつつあるのは、月子のお陰なんだと思います。




月子の性質は簡潔に行って

  1. 他者の夜(隠してきた負の感情)を照らすものである
  2. それは無意識的に起こりえるものである
  3. 月子の前では抑えていた自分と出会う=月子と関わるとイヤな自分になっていく、と思い込む人が多い
  4. が、その思い込みは月子と関わることで浮き彫りにされ、結果、自分がやつ当たっていたことに気付く
  5. 全ては、月子が「相手を受け入れ、寄り添い続けること」をし続けることで完遂されるものである
  6. よって、月子への反発心=自分の夜に向き合いたくない抵抗であり八つ当たりである、と心得を持つと良い

である。




僕は、月子のパートナーとして関わってからなら4年以上。
そして僕は、今でこそ「本当にすげぇな月子」って思っていますが、出会った当時などは「いやいや、断然俺の方がすげぇぜやっほい!」くらいに思っていたし、間違いなく肯定どころか月子を全否定し、自分は正しいのだと主張し続けてきたのでした。

まあ、率直に行って自分の感情が出てきた状態での自分の主張で一個も正しいものなんてなかったんですけどね。今でもそれやってるんで、感情に向き合うって本当に繊細で難しい作業。

一向に学習しない自分の脳みそには、多分大好きな赤味噌が詰まってるんだな。うん。

言えるうちに言っておく、月子、いつもありがとう!






月子のエネルギーは、夜を照らすのだ。
自然と、隠してきた感情が沸き起こり、月子の周りにはちょいちょいなんだコイツすげぇ部分見せてくんなぁ(自分は棚において)と思わざるを得ない人々が集まってくる。

そして結果的に言えば、そんな方々のうちで月子が積極的に関わり続けた人間はみな、自身の強がりに向き合い、スッキリすると同時に「月子すげぇ」ってなってると思う。

いやすげぇんですよ。
人の感情に向き合い続けるって嫌じゃないですか。魂の使命どうこう言ってる方がちょー簡単で楽でキレイだからね。笑

やってるようで、実は誰しも全然やれてないのが感情と向き合うっていう作業。
月子のすげぇのは、そこに飲まれず冷静に向き合い続けることができると言うこと。

直近もですね、夜から始まり朝方8時過ぎまで、僕にお付き合いしてくださっていましたよ。←懲りない僕で本当に申し訳ない


(そっと手を差し伸べる)




感情、特に隠してきた負の部分は、みんな無防備で見せたくない。
抵抗もすごいし、反発も強がりも。

幾度となく「そこに触れてくるお前(月子)が悪者なんだ」と、僕であれ誰であれ言われているはずなのに、月子は向き合うんですね。本当に、そこまで人に真摯に関われる人を、僕は知らない。

誰しも、みんなある程度で関わりを諦めると思う。

だって、人の感情は自分のも含めめっちゃめんどくさいでしょう?






夜に浮かぶ月明かりのような、月子。

出会った当時は、こんな性質の持ち主だとは僕も本人も気づいてなかったと思う。
けれど、出会った時から“月子”の活動名だった。ちなみに本名は寛子なんだから、これもまさに名前の通りだよね。寛大だよ、器の大きさマジぱねぇ∑(゚Д゚)です。







僕は月子のパートナーとして4年。
まだ詳しくは書きませんが、最近では離婚届を書いて渡しておいてるなうという、離婚危機状態(全部僕のせいなんですけど)にもなりました。でも、そこでもまた、僕自身の夜を照らし続けてくれたんですね。すごいよ、本当に。





僕は、月子のパートナーとして、どんどんダメな自分できない自分を自覚し、成長も実はすっごいゆっくりで、なんら器用でもなく、アイデンティティが崩壊していく流れに、振り返れば乗り続けています。

でも気付けば、朧げながらにも、その先にいる本当に出会いたかった自分が見えてきているような気がします。

気がします、なんて表現じゃダメですね。間違いなく、見えてきています。






多分、僕が一番その部分に言及していますが月子は生きる速度がゆっくりなんですね。
いったい何度「ちょっ、はよっはよっ(゚∀゚)」と様々な部分でせっついてきました。

ですが、もうそう思い始めてから2年が過ぎる頃でしょうか。少しづつ、そんな部分にも、思い感じるものが変わっていきました。

「ああ、もしかすると、これもまた類稀なる才能なのかもしれない」

と。




これをまた性質的な側面で言うならば

  1. 月子の生命はゆっくりとマイペースに活動し続ける
  2. 誰がせっつこうとも急げはしない(ここは揺るがない)
  3. が、現代社会において、急ぐのが簡単過ぎる私達には見失ってしまう大事なものが、月子のペースでは見え続けている
  4. 月子に合わせ「ゆっくり生きてみる」と何かが成就することは遅くとも本当に成就したい何かに出会うのは早いのではないか、と

現に僕は、自分一人なら気付くことはなかったであろう大切なものに、どんどん気付けています。




で、月子をせっつく人は決まって、僕も含めあらゆることを焦っている人間であることは、統計上100%だぜやっほい*\(^o^)/*



それくらいね、完璧に、本人は急いでるつもりでも全くゆっくりで。笑

でもね、これも僕は今では”偉大なる師“として、鏡とし続けています。



過去には

「俺は変わり続ける!」→「変わった!すげえぜ俺!」

を繰り返し続けていましたが、今でこそやっと感じられてきたことは

変わるだ変化だといい続けてる人間ほど、側から見たら変わってないよ

ってこと。



表面上は、いくらでも取り繕える。多少の表現も。でも根本的には、何も変化が起きていないどころか、どんどん頑なになっているよね。

いつも、そうでした。

僕が”変わるんだ!“と動き出したタイミングは、月子と向き合ってきた時間であり変えられようのない自分自身に近づいていく為の時間となっていたのです。




月子には、いつも驚かされる。
僕が、抵抗や強がりの分厚い鎧を着続けることに疲れ、やっとやっとそれを諦め始めた頃に見えてくる自分の本音に月子はずっと以前からそれに気付き続け、尚且つ自分自身で気付けるまで見守り続けてくれていたんですから。


ーーー


この記事も書いてから数日が経ちました。

いえ10月頃書いたので数ヶ月経ち年を越し、あけましておめでとうございますです皆さま笑

一気に8割を書いて保存して、書き上げる前に色々起こり、寝かせて寝かせて、今に至る。

その間の流れもまた、意味深い。





月子すげぇ言いまくりで、ただの惚気記事に思われるかもですが

もう一度言いますが僕のスタート地点は月子を否定するところから始まっていますので、惚気というよりは、懺悔に近いような笑、色々と気付くの遅くてごめんよの謝罪文のような笑、そんな気持ちです。

人を褒めるって、身内ほどできなくなる僕なのです。遠い他人を大したことない関わりの中で褒める行為の方が、当然容易い。

過去にこれほど、自分の奥さんについて、深々と明確に書いた記事はないでしょう。




月子は、最も原始的と言いますか、根源的な部分に触れていきます。

感情的な部分ゆえに、人は怖れるし、なにかと魂だなんだと、綺麗で苦しくない外側の言い訳に逃げ出したくなる。

でも、そう言うことじゃないんだよね。

月子は、そういうこと言ってんじゃない。

でもそれって、僕も最近になってようやく多少理解できたくらい、見たくなくて避けてきた部分だから。




そして、月子の尊敬すべき部分はそんなめんどうな部分へと、寄り添い続ける大きな器と優しい心”である。

誰がどう月子を否定しようとも、その“人間性(母性?)という一部分の素晴らしさ”がある以上、誰の意見を差し置いてでも、僕は月子を尊重すべきなのだろうと、数々の失敗談から学んだのである。



ーーー

これは

月子への応援であり、援護であり、取り扱い説明書じゃないですが、少しでも何かの後押しになればと書きました。

僕の理解の、まとめの意味も込めて。



感情に蓋をしている方、いつも同じことを繰り返す方、逃げ癖のある方は

是非、会ってみてね♫

見たことない、見たくなかった自分に出会い、きっと癒されるでしょう。



なんだかんだと、書いてから一週間以上。

思うことは、これまでの時代では、ある程度感情を無視してもやってこれた。

これからは、どんどん無理になっていくであろうということである。





書奏家 志起
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博士は“叡智”を伝える方なんだなぁ。

11月14日は「マヤの叡智セミナー」だった。
これは、ー+博士が行なっている全12回の「マヤの叡智基礎講座」の内容をかいつまんだようなセミナー、とわかりやすく表現されています。


(カツとじの向こう側へ、どうぞ)




お話を聞いていて思ったことは

「マヤの叡智を“たったの2時間”で伝えることは、とても難しそうだなぁ」ということでした。笑




博士とご縁をいただいてからは4年以上。
その経歴と経験から、こと宇宙に関連したお話やマヤのことに関しては、想像だにしない深さのお話を聞くことができます。
(そりゃそうだ)

3年前に博士に聞いたことが“答え”と思っていた頃。
自分で勉強し、感じ、改めて浮かんだ疑問を投げかけ返ってきた“圧倒的に深い答え”に僕は「ああ、博士が語る言葉の深さを理解できる物差し(経験)を持っていなかったし、まだまだ本当に果てしない」と気付いた今年の夏。

30代から宇宙工学の道へと進み、リアルに見えないエネルギーの研究者となり、傍ら経営者としても生きてきて、流れの中にマヤを伝えられ、また伝えていく人生を生きている博士。

「博士はあの時こう言った」
それは、その時の自分に“理解できる言葉で伝えてくれただけ“の話なのだ。

僕らはそんな、話の枝葉の部分についつい気を取られ生きていく。それが答え、それが本質なんだと、何かを勘違いし続けて。そんな過程も、必要な時間。




マヤを学んで、会ってみたり
マヤから離れ、会ってみたり

博士のブログを書いている今日。
今はマヤの勉強はいっさいしていませんが、マヤを知るとは、あらゆることに通じていくことなのだと改めて思う。



セミナー中にこんな話がありました。

「マヤのテクノロジーでは、望遠鏡もなかった時代に、地球の公転周期を365・2422日まで出している。でも現代科学では365・242日までしか出せていないんだよ。だから、マヤのそのテクノロジーを現代科学は”否定“ができないんだ。追いついてないから。」

それは紀元200年頃と言ったかな?
すごいですよね。

でも、今現在マヤには2万のピラミッドがあり、2千人の学者が入っているそうですが、結構最近までその文字を解読できず、やtろ解読できた現在で実はまだほんの数%しか、その伝えられていることを解明できていないそう。現代科学を圧倒的に凌駕する、叡智が詰まっている。


マヤ=周期
そこには、周期を司る全ての働きへの智慧がある。
宇宙、星々、銀河系、自然、人、動物、植物。現代科学は、マヤの持つ圧倒的な叡智の一端を理解できる程度だろう。

全てがあるから、全てに通じる。

やっぱり純粋に学びたいなぁと思う。
学ばなきゃ!とか学んだ方がお得!とか学べば稼げる!とか、そういう気持ちの入らないもの。



今、建設系であるとか、IT系であるとか、勉強してるからこそそこにある心の在りようの違いを実感する。
悪いわじゃないんですけどね。どの目線から、それを語るかですよね。笑




「人に理解されるような人生では、本当の自分ではないのかもしれないね」

わかっちゃいるけど、改めて。

その言葉を噛み締めると、どんな味が染み渡るのか。




今はゆっくりと、感じる時間が取れて嬉しいね。
仕事をしない、のが今は大事な時間なのかもしれない。



書奏家 志起
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マヤの”叡智“を伝える無二の人。ー+博士来福!

懸垂バー買ったぜ。
ドア枠を支えにしてやるので大抵の家では使えるのかな?

昨日から懸垂遊びして、今日は筋肉痛です。


ーーー


身体の状態、って

その人の生き方であり、考え方であり、エネルギーの扱い方が現れているなぁと思っていて、そうなると「あれ?背筋(引き寄せる力)はそのまま引き寄せ力か?」なんて思って、引き寄せの法則どうこう言うてるよりも背筋使ってった方がいいんでないか?と考えまして。

そうでなくても「懸垂したいなぁ」という想いが多くの方と同じく僕にもあるので、で、これは2000円ちょっとで買えちゃうし場所も取らないので、買ってみたわけです。

いやーいい買い物でした。
ヤフオクで是非、あなたも!


(キャットタワー最上の1匹用の場所に2匹寝るの図)

可愛すぎか!∑(゚Д゚)
仲よすぎか!!∑(゚Д゚)
多分、母親一緒か!∑(゚Д゚)

心鈴は去年以前の生まれ。
るーるーは今年。

でも多分、姉弟。
もー毎日やんちゃです。




今日はせっかくバス車内の時間をプログラミングの勉強にあてようと思ったら、今朝は眠過ぎて寝て過ごし、今はアプリを開いてみればなんと追加ダウンロードが必要で、、、

これやってまうと奥さんが嘆くので、大人しくブログ書いてるなうです。笑
(キーボード練習ってことで)

今現在、建築系の勉強もしながら、同時にプログラミングです。
言語はApple社が開発したSwiftという言語です。なぜかというと、iPadで勉強環境が整うのでバス車内で十二分にできるからです。ここが滞りなく学べるようなら、C言語移行して、スマホアプリ開発にいきたい。

とそんなことやってる間に就職どうこうという話になるでしょう。

学生期間は3月末まで。
多分、IT関係を目指す流れになりそう。結局向いてるんだなぁ、この分野。
自分の想像以上に、興味があるものとないものとが、ハッキリ分かれているんだというのがよくわかる最近です。

で、僕は前職の関係もあるけど、Apple社が好きなんです。
いつも最新型を買うとまではいかないけど、好き。
で、スマホアプリの活用には、意欲をそそる。未来を感じる。可能性を考え論じたくなる。

この辺りは興味ある素ぶりでなく、ちゃんと興味あると言えることですし、今はこれくらいしかエネルギー向く対象なくて。で、この道ってちょうど一年前にもおんなじことを考えていて、色々あって頓挫しかけたんですけれど、心身の疲れが癒えていったり、色々ある内にまた戻ってきた。

手元に無くなったかに見えて、また戻ってくるって、大事な気持ちなんだろうなぁと思う。
僕は“〜であるべき!”という縛りが薄い分、執着が少ないので、自然と戻ってくるようなことがあると「ああ、大事なんだなぁ」と実感できる。

そんなことなくても実感できれば一番なんですけどね!
器用貧乏、分岐点迷子ですよ!

だから、色々とやってみて、実感して、消去していくしかない。

家帰ったらちゃんと、アプリをダウンロードしなおしておかなきゃ!


ーーー


そんな学びの、一応はスタートを切らせた今月。(本でも勉強してる)

来週13日には、北海道から宇宙工学の博士であり、ダークマターの研究者であり、マヤの研究者であるー+博士(いとう)が来福します。

で、僕はセッションは受けないけれど、行くだ行かんだの挙句にマヤの叡智セミナーに参加します。



マヤの“知識”を語る人は、そこそこいます。
マヤの“叡智”を語れる人は、そうはいません。

博士は、マヤのシャーマンから直接に叡智を伝えられた内の一人。
預言で、2013年に入る以前に3人がマヤを訪れ、叡智を伝えることになっていたそうです。
その最後の3人目が博士。

学ばれた方は、それぞれの使命に基づいた伝え方をされていきました。
お一人は、とても有名です。
お一人は、ドイツ?の天文学者らしいですが、表立ったお話は聞きませんが「何かしらの使命を果たしているのだろう」とのこと。
博士は、叡智を伝える手法として、マヤのツォルキンを紐解くことを入り口としています。

とても多いのですが、博士のセッションを受けることは、叡智に触れる鍵みたいなものなので、不安がらずに受けられてくださいね。笑

博士のお話の中には、書きたいこと伝えたいことがたっくさん。
ですが、不思議と、タイミングを選ばされるのかな?ほとんど書くことはありません。笑

博士自身も、隠しているわけではない。
聞けば、答えれるままに、答えてくれます。

ですが、そう多く、語られることも少ない。
(大抵の方は、紋章等の解読に目を向けているからかも?)

みんな、使命やらなんやら大好きですからね。笑
(僕も好きです!)

でも、博士自身がいつも言う「僕が伝えていることは、魂の可能性のほんの一部だよ」に、たくさんの真意があると思うんですね。

僕自身としては、マヤについて独自に学んで行く時間があったことで、その言葉の意味が、博士とお会いする会を重ねるごとにやっとやっと気付けてきた程度なので、こうして書いてはいても、やはりその真意の数%も感じられてはいないでしょう。

と、言うのが現時点での僕の”マヤ=博士の語る言葉に対する距離感“です。
知れば知るほど、知るに足らずを知り、深遠さの一端を覗かせていただく想いです。





さて、そんな博士は「マヤの叡智の講座基礎編(全12回)」をされています。
先に言っておきますが、この講座では、紋章がどう銀河の音がどうという内容ではないそうです。
もう一つ付け加えるなら、博士は数年かけてマヤの叡智をシャーマンから伝えられましたが、太陽の紋章がどうとか、そういったことは一切伝えられていないそうです。
(この文章に、なにかを感じていただけたらと思います♪)



叡智とは何か?
マヤとは?

僕自身、講座を受けたわけではないので、そこについて多くを語ることはできません。

が、今回福岡で行われる「マヤの叡智セミナー」はそんな講座でドップリと話されるような内容の全貌を、凝縮し、叡智に触れることができる時間、ということです。

僕も、楽しみです♪



博士とは、セッションでいただいたエネルギー的感覚と、お会いした時の日常会話が財産となります。
叡智とは、失われた知恵であり、尚且つ普遍的なもの。

マヤに伝わる「当たり前」で
世界から失われた「当たり前」が

マヤの叡智。




その叡智に生きるものは、過去、未来、そして現在の全ての時間軸を自由自在に生きるものとなります。

直線上の過去ー現在ー未来の”人工的な時間軸“から、魂を呼び起こす時間となるでしょう。




あっ、これは博士とお会いしお話するだけでそうなっていくので、まず会ってみてくださいね♪




叡智セミナーはまだお席があります。
この文章に興味を持たれた方は、きっと「宝物のような時間を過ごすことができる」でしょう。

受付は奥さんである月子。
福岡のマネージメントをしています。(2回目)
セッション枠も、あと1個くらい?あるのかな。



面白い話、今でも博士は「もっと宇宙の研究に時間を使っていたい」と言っています。笑
実は、マヤの叡智を伝える人生は(今は全国飛び回ってます)本人が”望んで歩んだ道ではない“ということ。

しかし、現実が「マヤを伝えろ」と言わんばかりの流れに。

石橋を叩きまくる博士は「じゃあ、マヤを伝えることが本当に僕の魂がすべきことなのか、見せてよ」と宇宙に無理難題のオーダー。

それを一年という期間で見せられ、今はマヤを伝えているのです。




博士は、マヤを伝えなくても生きていけます。
お金に困っている、なんてことは一切ない。(元経営者ですし業績も良かったそう)


自然と若くからマヤを研究し
研究者として生きる中で自然とマヤの叡智を伝えられ
多少無理くりと笑マヤを伝える道を歩まされ歩んでいる(その話は是非本人に!)博士。

是非、セミナーご一緒して、体感してください♫

セミナーは13日、18:30から天神です。6000円だったかな?
(マネージメントはあんまり関わってないので笑)




書奏家 志起
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消去法。好きも嫌いも苦手もそれもこれも。

僕は行動派に見えて慎重派である。

好きなこと興味があることに向かうのは早い方かもしれない、または早かったかもしれないが、最近の動き方は例えるなら消去法的だと思う。



社会の中には、人の数だけ生き方がある。その中には、個人的に羨ましい対象であったり、逆にちょっと避けたいなと思う対象であったりがある。

僕はその

  1. 好きも
  2. 嫌いも
  3. 単なる興味も
  4. 苦手意識も含め
  5. 何らかの意識を持った対象は経験せずにいられない

のだと思う。



好きは簡単。
向かえばいいだけ。
抵抗も少なく、負荷も少ない。

嫌いや、苦手意識が難しい。
嫌いは、そもそも向かうことにエネルギーがいるし、その中でもやってみると意外と!?みたいなのもあるからどうにも。

過去には絶対嫌だと思っていた彫刻作業に時間を使ってみて、意外と細かな作業が楽しんで出来るんだなと視点が変わったのを覚えている。

彫刻は、当時の僕にとって嫌いなものリストに向かう選択だったし、やってみて良かったことだ。

苦手意識は、個人的に一番嫌なパターンだ。苦手意識の中には、自分の中の隠れた財産がある場合が多い気がするが、いかんせん苦手を乗り越えるまでが辛いと思う。特に、僕はその意識の時には極端にパフォーマンスが制限するのを実感するから、ホンマちゅらいやで( ゚д゚)



でも、嫌いには意外な発見があるし、苦手には道が拓けるパターンが多々ある気がする。

特に最近では、好きはそれなりに試してきたと思うので、嫌いや苦手の中に自分の突破口があると思う。



好きに向かう為に、純粋に向かう為に、それ以外の感情で心に留まっているものも全て、経験し実感し、自分の中に残り続けるものを、大事にしていくのです。

だから、消去法。



(幸せさぎにゃん)


よく「好きなことだけ、ワクワクすることだけ」が推奨されがちだが、そこにはいつも伴う苦難があると思う。

なにかを始めるのは、好きやワクワクでいい。

でも、それを続けていくには続けていく中で生まれる苦しみや葛藤、その他の様々な状況や感情を受け入れることが必要なんだろう。

ある程度までは、ある程度までできるのだ。

大事なことは自分がどこまで深め極めたいかを見定めることだと思う。




そしてそれは

“どんな想いの中に生まれているのか”

を見つめ続けることが、純粋さを失わずに歩んでいける秘訣だと感じる。




僕は今、何かをする前のなぜ、それをしたいのか?を感じ続ける日々を送っていると思う。

以前はずっとそれをしなければ!!で無視し続けてきた、奥深くの本当の感情たちのあれこれ。




(こしゅとるーるー。仲良すぎ。)

キャットタワーの一番上の1匹しか乗れないスペースに2匹寝てるという、ヤバかわゆすな写真。

こういうのを見るときの奥さんは、ガチの変態です。所作が笑


(変態でリンクってどうよ)



猫たちはいつも素直。

うちの猫たちは、本当に。

以前に暮らしていた子とは、全然性質が違う。




多分、僕や、一緒に住んでいた家族の誰もが素直でなかったから、猫も素直じゃなかったのだろうと思う。

動物はとりわけ、表面的な言動ではなく、僕らの感情の機微に反応し続けます。

だから、飼い主の心が変わると、相対する動物たちの心も態度を変える。



この子達から、僕自身を伝えてもらっている毎日です。




奥さんや、この子達との生活の中で、実感していく想いが、今は1番のものだと思う。

毎日作るご飯を美味しいと言ってくれるのが嬉しい日々です(°▽°)




書奏家 志起
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自分を生きる、を何で測りましょう。

自分を大切にする。
自分を生きる。

とても、難しいですね。

自分を大事にしたつもりでした。
しかし、肝心の自分を見つめる勇気が足りていなかったばかりに、偽りの自分で、自分を苦しめましたね。

自分とは何か?

人はついつい、それを何をしている人間かで測ってしまいますね。

人を例える時には

“優しい人だね”
“暖かい人だね”
“心の美しい人だね”
“明るい人だね”

なんて、心を例えるのに

自分を例える時には

「私は優しい人なんです」

なんて言う人はいないですね。
自分の心を良く例えることは恥ずかしいのでしょうか。

同じ例えでも、

“あの人は弁護士です”
“調理師の方です”
“事務をされているそうです”
“バリバリの営業マンです”

なんて、何をしているかを伝えられても、どこか伝わってくるものは中身がない気がしますので、やはり人とは、僕が言うのもなんですがどんな心の持ち主であるかが多分に占めているのではないかと思います。



人を、そう感じるのであれば

自分もまた、どんな心で在るかを見つめるべきであると、僕は感じます。



何をしているか、に価値がないのではなく、何をしているか、は心以上の価値はないのだ、ということでもあると思うのですね。

結果的に心の多くは、行動に結びついているとしてもです。



(喜怒哀楽はっきりさぎにゃん)





自分を生きる、とはなんでしょうか。

何をもって、自分を生きたと言うのでしょうか。

僕はついつい自分は何をすべきか?という問いの袋小路に迷い込みます。

そんな時には、こうして立ち還りたいなと思います。

何をするか、に価値を置くな

と。




自分に閉じこもり過ぎた僕は

人に優しくできるように

成長したいなぁと思っています。




僕の最高のお手本は、いつも奥さんです。


「誰かを思いやること」

人それぞれですが、奥さんのそれは、本当にすごいなと思っています♫





書奏家 志起
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